哲学
更新日時:2015-10-07 01:46:20
哲学に対して、皆さんはどのようなイメージを持っているでしょうか。
答えの出ないことをいつも考えている小難し学問。実用性のない学問。捉え方は様々だと思いますが、大多数の方が、哲学とちょっと距離を置いているんじゃないかと思います。確かに、哲学って専門用語が多くって、触りづらい学問ではあると思います。ですが、本当に哲学は役に立たない学問なのでしょうか。
私は、その答えに断固NOを突きつけたいと思います。むしろ、哲学ほど万人に役に立つ学問はないと言えると思います。なぜなら、哲学は、人間が生活の中で感じるあらゆることに問いかけ、それに答えを見出そうとする学問だからです。哲学は心の学問であり、考える学問なのです。
当たり前の話ですが、人間は悩んでばかりの生き物です。それは、世の中には割り切れないことが多いからなんですね。割り切れることは計算することで解決することができますが、そうじゃないことは計算では解決することができません。実生活の中で、計算で解決することができる問題はどのくらいあるでしょうか。多分、あまり多くはないと思います。そうしたとき、生活の中の大部分の問題が、哲学の範疇になってくるのです。
例えば、ソクラテスの無知の知という逸話があります。
ある日、神様がソクラテスに「あなたが最も優れた知識人だ」と褒め称えました。すると、ソクラテスが神様に「私より優れた知識を持つ人はたくさんいます」と答えます。そしてソクラテスは、それを証明するために、各界の知識人の元を訪れるのです。しかし、ソクラテスがあった知識人は、どの人も“さも自分が全てのことにおいて知識人である”かのように雄弁に物事を語ったのでした。そして、その姿を見たソクラテスが言ったのでした。「私には彼らのような優れた知識はないが、少なくとも知らないということは知っている」と。
さて、この逸話ですが、難しいことを言っているようで、実はとても簡単なことを言っているんです。つまり、自分が何かについてよく知っているとしても、それは他のことについてもよく知っているということではないよ、ということなのです。例えば、あなたが何かの分野のエキスパートだとしても、他の分野ではエキスパートではないということなのです。自分はある分野だけでエキスパートであり、他の分野ではビギナーである。そんな当たり前の区分けを、無知の知という話は教えてくれているのです。
でも、そんな当たり前のことを出来ていない人は世の中にたくさんいます。役職についていたり、仕事ができるからって、人を見下している人はたくさんいます。それは結局、自分が万能の人間であると勘違いしているのに他なりません。他にも、浅い知識でなんでも知っている気になっている人もたくさんいますね。ネットが普及したことで、そうした人は多く見かけるようになりました。あなたはそうした人をどう思うでしょうか。きっと嫌な人だなと思うのではないかと思います。自分の領分をわきまえ自重することは、人に好かれるうえで大切なことなんですね。
他にも、無知の知は、こんなことを教えてくれています。それは自分の領分であれば雄弁に語って良いということです。昨今は、雄弁に語ることが“悪いこと”のような風潮が出来てきています。しかし、自分の専門のことについて、考えて意見を言うことは悪いことでしょうか。私は消極的であることのほうが悪だと思います。自信を持つべきところは自信を持ちなさい、ということも、無知の知という逸話は教えてくれていると思います。
こんな風に、哲学は生活の中の些細なことに、明確な問いを与えてくれます。哲学というのはより善い生き方を教えてくれる学問なんですね。
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