パソコンを使う授業

更新日時:2018-04-16 02:54

最近の会社ってパソコンが使えることが必須だったりしますよね。もちろん、パソコンを使わない職種もありますが、これからの時代を生きて生きならパソコン操作は必要なことだと思います。

私が始めてパソコンに触れたのは中学生の頃の授業です。このときはパソコンの操作方法を教えてくれるというものではなく、ただ使ってみようってだけだったので、“パソコンができる”というようなものではありませんでした。

高校に入って情報処理の授業で初めてちゃんとしたパソコンの授業をしました。まずは基本のタイピング練習からだったんですが、このときに真剣に取り組んだおかげで今ではキーボードを見ないで入力できるブラインドタッチができるようになりました。

タイピング練習だけじゃなく、エクセルやワードの操作方法もその授業で学んでいたので、働き出してからもすんなりとパソコン操作をすることができました。

今では小学生の頃からパソコンに触れることができる環境が整っています。自分に子供ができたら小学生の頃からちゃんとしたタイピング練習をさせて癖づけをさせたいと思います。

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語学

更新日時:2017-07-26 06:11:27

日本は経済の低迷期にあり、インターネットの発展により世界はグローバル化が進んでいます。東京オリンピックの開催決定で、海外との交渉力が試されている現在、語学力を持っていることは大きなアドバンテージになると思います。

英語力があることは、もはや大前提といってもいいでしょう。今まさに大学にいって語学を学ぼうとしている方、これから新しく英語以外の語学を習得したいと考えている方にとっては「第二外国語」の選び方が重要になってきます。

国際的に考えて重要になる言語は、ヨーロッパ系言語ならEUでの使用国が多いドイツ語、国際的に使用する国の多いフランス語があげられるでしょう。ただし、ドイツ語もフランス語も比較的難解で、発音も非常に難しいものです。習得するにはそれなりのふぉりょくが必要になります。

急速な経済成長により、貿易先として無視できない存在になっている中国の言葉も学ぶ方がかなり多いです。日本人にとってなじみ深い漢字を使用するので、一見とっつきやすそうに見えますが、同じ感じでも日本とは違う発音、用法をすることが多々ありますので注意が必要です。また、発音の難しさは外国語でも随一で、声の高低によるニュアンスでも意味が変わってしまうなど、独特の難解さがあります。

元々日本は、世界の中でも少し特殊な言語や文法を持った言語を使用する国であり、それが余計に外国語の習得を難しくしている傾向があります。

外国語で比較的日本人が習得しやすいのは、読みがローマ字そのままに近く、かつ中南米でも広く使われているスペイン語。そして比較的文法が日本のものと似ており、読みも覚えやすく、日本にとっては活用の機会の多い韓国のハングル語などがあげられます。

難しい、簡単の差はありますが、将来の自分に役立つ言語を習得することが重要です。例えば理数系の海外文献はドイツ語が多いので、ドイツ語を学ばなければ世界の最新情報を入手することがむずかしくなったりもします。どの言語が自分にとって必要なのか、じっくり考えて学ぶべき語学を選ぶべきでしょう。

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哲学

更新日時:2015-10-07 01:46:20

哲学に対して、皆さんはどのようなイメージを持っているでしょうか。

答えの出ないことをいつも考えている小難し学問。実用性のない学問。捉え方は様々だと思いますが、大多数の方が、哲学とちょっと距離を置いているんじゃないかと思います。確かに、哲学って専門用語が多くって、触りづらい学問ではあると思います。ですが、本当に哲学は役に立たない学問なのでしょうか。

私は、その答えに断固NOを突きつけたいと思います。むしろ、哲学ほど万人に役に立つ学問はないと言えると思います。なぜなら、哲学は、人間が生活の中で感じるあらゆることに問いかけ、それに答えを見出そうとする学問だからです。哲学は心の学問であり、考える学問なのです。

当たり前の話ですが、人間は悩んでばかりの生き物です。それは、世の中には割り切れないことが多いからなんですね。割り切れることは計算することで解決することができますが、そうじゃないことは計算では解決することができません。実生活の中で、計算で解決することができる問題はどのくらいあるでしょうか。多分、あまり多くはないと思います。そうしたとき、生活の中の大部分の問題が、哲学の範疇になってくるのです。

例えば、ソクラテスの無知の知という逸話があります。

ある日、神様がソクラテスに「あなたが最も優れた知識人だ」と褒め称えました。すると、ソクラテスが神様に「私より優れた知識を持つ人はたくさんいます」と答えます。そしてソクラテスは、それを証明するために、各界の知識人の元を訪れるのです。しかし、ソクラテスがあった知識人は、どの人も“さも自分が全てのことにおいて知識人である”かのように雄弁に物事を語ったのでした。そして、その姿を見たソクラテスが言ったのでした。「私には彼らのような優れた知識はないが、少なくとも知らないということは知っている」と。

さて、この逸話ですが、難しいことを言っているようで、実はとても簡単なことを言っているんです。つまり、自分が何かについてよく知っているとしても、それは他のことについてもよく知っているということではないよ、ということなのです。例えば、あなたが何かの分野のエキスパートだとしても、他の分野ではエキスパートではないということなのです。自分はある分野だけでエキスパートであり、他の分野ではビギナーである。そんな当たり前の区分けを、無知の知という話は教えてくれているのです。

でも、そんな当たり前のことを出来ていない人は世の中にたくさんいます。役職についていたり、仕事ができるからって、人を見下している人はたくさんいます。それは結局、自分が万能の人間であると勘違いしているのに他なりません。他にも、浅い知識でなんでも知っている気になっている人もたくさんいますね。ネットが普及したことで、そうした人は多く見かけるようになりました。あなたはそうした人をどう思うでしょうか。きっと嫌な人だなと思うのではないかと思います。自分の領分をわきまえ自重することは、人に好かれるうえで大切なことなんですね。

他にも、無知の知は、こんなことを教えてくれています。それは自分の領分であれば雄弁に語って良いということです。昨今は、雄弁に語ることが“悪いこと”のような風潮が出来てきています。しかし、自分の専門のことについて、考えて意見を言うことは悪いことでしょうか。私は消極的であることのほうが悪だと思います。自信を持つべきところは自信を持ちなさい、ということも、無知の知という逸話は教えてくれていると思います。

こんな風に、哲学は生活の中の些細なことに、明確な問いを与えてくれます。哲学というのはより善い生き方を教えてくれる学問なんですね。

文学

更新日時:2014-04-08 14:08:16

学校で習う国語の授業は内容が曖昧で、面白くないなと思った人もいると思います。文学と聞くと、そのイメージを思い出すから、同じように面白くないと思ってしまいがちです。

しかし、文学と国語というのは似て非なるもので、文学というものはもっと自由なものです。強いて言うなら、文学には国境は無く、性別差もなく、時間という概念すら曖昧です。

私たちはどんな国で書かれた本でも、それを理解し楽しむことができます。

何故そのようなことが出来るのかというと、人間の本質が古今東西変わっていないからです。そして本というものに、作者の人間性と、人間としての普遍的な問題に対する解答が書かれているからです。

つまり、私たちは文学を通して、考えの豊かさや柔軟さを学習することができます。それは生きていく上で誰もが必要とするものです。

本には古いものもあれば、外国のものもあるし、つい最近出版されたものもあります。私たちはふと生き方に迷ったとき、それらの本を手にとって読んでみれば、新しい考え方を見つけることができるのです。

歴史

更新日時:2014-03-14 21:20:23

歴史というものは、人々の文化や習慣、そして生き様や背景を彩る物語を指す。それは学生時代には、歴史の授業においては睡眠学習となってしまう。

なぜならば、社会学習に欠けるからである。年をとるにつれて、人間は歴史を認識するようになる。

その中で、自分の人生を振り返った時にふと自分の軌跡をたどるように当時の歴史の資料をあさる。その学習は、自分の経験でしか得られない価値や魅力を生む。

それが思い出である。実は、そこらへんにある何の変哲もない古本が思い出の塊であったりもする。

その思い出が自分と合致するものがあった時に、深い感動を覚えて学習するのである。そのようなわけで、若者が古臭い物語をやるよりもパズドラなどのアプリゲームに傾倒したりするのである。

つまり、歴史の学習の醍醐味とは今までの様々な経験則と本に書いていることの合致による化学反応が、将来自分がどのように活躍していくのかを考える答えを探ってくれるのだ。

数学

更新日時:2014-03-07 07:45:42

学生の方は今数学を学習していて苦しめられている人もいるのではないでしょうか。しかし、やっておくと役に立つことはあります。

数学の学習というと難しく思う人もいるかもしれませんが、やはり足し算、引き算などの基本的な加減乗除ははずせないでしょう。要は基本的な計算です。生活していると意外と計算する場面って多いものです。現代ではちょっとした計算も機械がやってくれますが、長い間自分で計算することをしないと、いざって時に計算力が衰えてることに気がつくかもしれません。就職活動している学生は痛感する人もいるのではないでしょうか。今、就職活動の時のペーパーテストで簡単な計算力を試されることは多いですよね。

あとは、数学っぽくないんですが、論理です。数学は論理の世界です。「AだからBになる。」「BだからCになる。」だから「AはCになる。」といったような内容です。このように論理立てて話を展開するというのは、就職活動やその後の仕事などでも要求されます。

いかかでしょうか。なにも難しいことが出来なければいけないということはありません。ですが、このようなことを意識すると数学の学習の姿勢が変わってくるかもしれません。

プログラミング

更新日時:2014-02-28 16:45:59

少しでもやっておくのとおかないのとでは、仕事の仕方ががらっと変わる可能性のあるもの。

それが、プログラミングです。

プログラミングとは、ソフトウェアを設計して自ら作ることです。

もし、完璧にプログラミングをこなせれば、パソコンを自由に操り、多くの作業を自動化出来るようになります。

完璧でなくても、学習しておくことで役立つ場面は非常に数多くあります。

たとえパソコンは持ってなくても、携帯電話やスマートフォンは誰しももっています。

今現在、自分では所有していなくても、仕事でスマートフォンやタブレットを持たされる事は十分あります。

スマートフォンアプリを作るにはプログラミングの学習は欠かせません。

装置の原理などにも詳しくなれます。

理系のイメージがあるプログラミングですが、経理や会計などでも非常に役立ちます。

パソコン上で単純作業を自動でこなすには、絶大な力を発揮します。

文書作成などでも利用出来る場面があります。オフィスソフトのマクロ機能はプログラムと同じだからです。

コンピュータの動作原理を学習することにもなり、世の中の機器に対する造詣もとても深くなれるでしょう。